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ランペイジ・ジャクソン、決定的瞬間

11月20日土曜日、史上最も魅力のある二人のライトヘビー級ファイターたち、精密なストライカー、リョート ”ザ・ドラゴン” マチダと長年にわたりその怪力を誇ってきたクイントン ”ランペイジ” ジャクソンがミシガン州のパレス・オブ・オーバーンヒルで行われるUFC 123のメインイベントで激突する。この元王者たちはこの試合に勝利することによって現在のタイトル保持者、マウリシオ ”ショーグン” フアへの道が開かれる一戦だ。そのときがくるまでに、彼らが今日までにたどってきた道のりをもう一度見直してみよう。

クイントン
ランペイジ
ジャクソン

桜庭一志
2001
729
PRIDE
15
結果

桜庭1ラウンド、サブミッション
2001年、PRIDEのスーパースター、桜庭一志と対戦するために日本を訪れたクイントン・ジャクソンはそのとき11戦無敗、素材としては申し分なかったがその実力は未知数と言えた。その試合までの1年の間に桜庭はヴァンダレイ・シウバ、ヘンゾ・グレイシーそしてハイアン・グレイシーと対戦していた。ジャクソンはケニス・ウィリアムス、ブライソン・ホウヴリック、そしてロッコ・ヘンダーソンたちと対戦していた。そのため”ランペイジ”にとってこの試合は大きなステップアップでありプレッシャーを感じていた。

「まるでレンガを飲み込んだような気分になっていたのを覚えているぜ。」2007年にジャクソンはこう振り返っている。「今でも、今日までずっと誰かがルームサービスか何かに毒を盛ったかなにかじゃないかって思っているぜ。それまでで最高の稼ぎだったから俺はハッピーだったけど、あいつらは俺を負けさせるために日本に連れて行ったって知ってる。Prideはあの頃階級性ですらなかったのに体重にいちゃもんをつけて俺を負けさせたんだ。勝てない、って分かっていたよ。でも背中を見せて試合から逃げることはできなかった。俺は言ったね、”ベストをつくして最高のショーをやってやるんだ、そうすれば最悪でも俺は名前を残すことができるしPrideは俺を呼び戻すだろう”ってね。」

大方の予想通り、ジャクソンは桜庭のサブミッションに沈んだ。しかし何よりも驚きだったのはこのカリフォルニアからやってきた男に対する観客の反応だった。そしてジャクソンは日本のファンたちを愛するようになり、五年後の彼のキャリア17戦目となるPRIDEでの最後の試合までファンたちもこれに応えた。

チャック・リデル1
– 2003
119
PRIDE
Final Conflict 2003
結果

ジャクソン2ラウンドTKO
2003年までにジャクソンはイゴール・ボブチャンチン、ケヴィン・ランデルマン、ミハイル・イリューヒン、そしてムリーロ・ブスタマンチに勝利して、PRIDEのトップファイターとしての地位を確かなものにしていた。しかしこの頃の何よりも格闘技が好きなMMAファン達がもっとも望んでいた試合はPRIDEのヴァンダレイ・シウバとUFCのチャック・リデルの試合だった。普通に考えればその試合が実現する可能性は皆無だったがUFCプレジデント、デイナ・ホワイトは日本で行われる205ポンドのトーナメントに選手を送り込むことに同意し、リデルとシウバが決勝で戦う、というのが理想的な結果、と言えた。シウバは吉田秀彦を破り、役割をはたした。しかしリデルは”ジ・アイスマン”の渾身のパンチをものともしないジャクソンと言う名前の電気ノコギリに走りこんでしまったのだ。ジャクソンはリデルの攻撃を払いのけると2ラウンドにリデルをTKOしてしまった。この勝利はジャクソンに世界的な地位の確立をもたらしただけでなく、オクタゴンでの最強の一角を下したこの男に対する興味をひきつけるのに十分であった。

ヴァンダレイ・シウバ2
– 2004
1031
PRIDE
28 
結果

シウバ2ラウンドKO
たった8週間の準備期間でヴァンダレイ・シウバと戦うことはピクニックに行くのとは分けが違う。ましてやチャック・リデルと戦った同じ晩にそれをするとなるともはや狂気の沙汰で、2003年にジャクソンがシウバに敗北した理由は簡単に説明がつくものだ。しかし、再び”ジ・アックス・マーダラー”との戦いにたどり着くために、ジャクソンは多くの注目を集めていたヒカルド・アローナに勝利する必要があり、そして彼はそれをやってのけた。その試合で彼が繰り出したスラムによるノックアウトはMMAの歴史に残る一撃でもあった。アローナ戦の勝利から4ヶ月の間、しっかりとトレーニングを積んだジャクソンはシウバとの再戦に自信がみなぎっていた。そしてジャクソンは彼の攻防の進歩をみせ、1ラウンドでは印象的な試合をおこなった。しかし第2ラウンド、ガス欠状態のジャクソンにシウバはそのツケを払わせた。パンチを効かされ意識朦朧としたジャクソンに強烈なヒザ蹴りを数初叩き込み、シウバは試合を終わらせたのだ。

チャック・リデル2
– 2007
526
UFC
71
結果

ジャクソン1ラウンドTKO
初めて拳を交わしたときから約4年、多くのことが変わっていた。リデルはMMAで最高のビッグ・ネームになり、PRIDEは消滅し、ジャクソンはそのUFCデビュー戦でマーヴィン・イーストマンに勝利していた。空前のメディアによる報道、そしてリデルのライトヘビー級で築いた長期政権にもかかわらず、ジャクソンはまだツイていた。リデルの顎に右のパンチを叩き込んで倒すとパウンドで追撃し”ランペイジ”はたった2分も経たない内に試合を終わらせた。クイントン・ジャクソンはUFCチャンピオンになった。

ヘンダーソン
2007
98
UFC
75
結果
ジャクソン5ラウンド判定
確かにジャクソンは楽しくて、このスポーツを代表するカリスマをもった、そして誰もが楽しめる爆発的なスタイルを持っている。しかしダン・ヘンダーソンのような世界レベルのレスラーを相手にマットを背にした戦いを強いられた場合はどうなるのだろうか、”ヘンドン”の脳震盪必須の右のパウンドの餌食となるのか、それとも5ラウンドに渡る乱闘になってしまうのか、205ポンドの新しいボスの座はどうなるのだろうか?答えはこうだった-ジャクソンは全ての困難を巧みにに乗り越え、25分にわたるヘンダーソン(最後のPRIDE
205ポンド級王者)との戦いの中で、グラウンドにおいても新たな知恵を見せながらこのハードな試合に3-0の判定で勝利し、史上初の二つのベルトの統一王者となったのだ。

フォレスト・グリフィン
2008
75
UFC
86
結果

グリフィン5ラウンド判定
僅差ながらも3-0の判定でグリフィンの勝利と言う結末はさておき、そしてこの試合はたしかに2008年のベストバウトでもなかったが、ジャクソンがチャンピオンとしてのハートを十分に示した試合だった。彼は恐るべきキックに晒されながらも、一方的に攻め立てられた2ラウンドを生き延び、後半の3ラウンドはそれを挽回するべく戦った。多くは王者がタイトルを防衛するのに十分なものを見せたと感じていたが、結論としてはグリフィンが戴冠し新たなライトヘビー級のキングとなったのだった。

ヴァンダレイ・シウバ3
– 2008
1227
UFC
92 
結果

ジャクソン1ラウンドKO
グリフィン戦での敗北の後、長きに渡って彼を支えてきたトレーナー、ファニート・イバラとの決別などのさまざまな問題などもあり、ジャクソンは2度にわたり彼を倒した男、ヴァンダレイ・シウバとの対戦を前にプレッシャーの餌食となりうる状態であった。しかしオクタゴンはジャクソンにとって聖域であるようで、長年にわたって追い続けたライバルにこれまでのツケを払うかのような衝撃的なノックアウトで1ラウンドで試合を終わらせた。今月の末、もしジャクソンがマチダに勝利すれば彼はPRIDE時代に彼に勝利しているもう一人の男、UFCライトヘビー級王者、マウリシオ”ショーグン”フアに雪辱を晴らす試合に一歩近づくことになる。