北米においてさまざまな格闘技が統合され、金網の中で行われるようになり、そして数億ドル規模のビジネスにまで成長するはるか以前から、格闘技は文化、伝統そして神話の中で確かな偉大さを約束されていた。
2010年9月24日、UFC ウェルター級チャンピオン、カナダ出身のジョージ・サンピエールはマニラにあるフィリピン・ボクシング界のスター、メニー・パッキャオのジムを訪問した際に、パッキャオのトレイナー、フレディ・ローチとスパーリングを行った。
現在、ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ、またはUFCは伝統的な格闘技の数世紀にわたる遺物のなかにも進出し、その独自の総合格闘技の、MMAのブランドとともにアジアの観客たちにそれらを売り込みたいと願っている。「その潜在的な可能性は莫大です。」UFCエグゼクティブ・バイス・プレジデントでありアジア方面のディレクターを勤めるマーク・フィッシャーはCNBC.comのインタビューで語った。「アジアでの成長は指数的なものになるでしょう。そしてこれは我々にとってそれら全ての発祥の地に持ち帰る素晴らしい機会なのです。」
フィッシャーは北京にUFCブランドのアジア・オフィスを新たに設立するちょうど二ヶ月前に雇われたばかりで、この仕事には新参と言える。以前のフィッシャーは中国におけるナショナル・バスケットボール・アソシエーションの主要人物で、中国市場でのNBAブランドの成長の目覚しい成功の立役者だ。そのときの経験から学んだ重要な教訓、たとえば正しい可能性を秘めたパートナー達とコネクションを作ることなどはアジアにおいてUFCブランドを確立するためにも応用できることだとフィッシャーは語る。それでも多少の中国特有の仕事は必要だとフィッシャーは認める。「最終的には我々は中国で(UFCの大会を)やりたいのです。」フィッシャーは語る。「我々はここの当局や我々が従わなくてはならない手続きにとても敬意を払っています。中国は長期的な構築をする状況です。」
アジアの異なる場所では、総合格闘技のルーツがより確立され、UFCにより強力な発展の基盤を与えてくれている。
日本ではかつてUFCのライバルとなるPride FCと言う格闘技プロモーションが存在した。1997年に始まり、10年間にわたりPride FCは巨大な総合格闘技イベントを開催し、今日のPrideの消滅を哀悼し続ける、カルト的な層を格闘技ファン達のなかから作り出した。ドリームのようなより小規模なプロモーションも現れたがPrideのような大規模なものは存在しない。UFCはそのような小規模なプロモーションを買収する計画を持たないとフィッシャーは語っている。しかし彼はUFCはあらゆる機会に注目をしているとも語っている。
アジアにおいて他にも韓国、フィリピン、そしてシンガポールには強力な格闘技ファン層が存在する。UFCはそれぞれの国について学び、そしてどのように各国の人々に売り込みを行うべきかを学ぶためにやらなければならないことがある、とフィッシャーは語る。
彼は、「オフィスを開き、正しい人たちと出会い、そしてそのマーケットについて学ぶために、あなたは実際にその場所に出向き、自分の足で歩きまわらなくてはなりません。なぜなら全てのマーケットは異なっており、ユニークだからです。」とも語っている。
フィッシャーによるとUFCのアジアへの戦略は三方面から成り立っている。テレビとインターネットを通じて各国のマーケットにアクセスし、二年以内に各国のマーケットに即した格闘技イベントの戦略を組み立て、そして地元の才能のある選手を発掘し育成することだ。そしていかなるスポーツでも地元の潜在的なスターを発掘し、そしてその成長を助けることはマーケティングにおける鍵となる部分だ。中国初のUFC選手、ティエクアン・ジャンは内モンゴル自治区出身のライト級選手で9月のUFCで華々しいデビューを飾り、12月に予定されている次の試合でも再び勝利を願っている。ジャンの初めての試合はUFC関係者の目を見張らせた。フィッシャーによると、ジャンの勝利により中国語サイトでは24時間の間に五千万回のクリックを生み出した。「少しの宣伝やプロモーションがあれば、あっと言う間に広まるでしょう。」とフィッシャーは語った。
このマーケットにおけるUFCにとって派手なノックアウト・パンチではないものの、将来有望な第一ラウンドの幕開けだ。